こんにちは。

 「基礎国語ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「大正時代の文学を押さえる」について話して行きます。

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授業をしている講師「前回は、大正時代の耽美派(唯美派)を押さえるについて話しました。大正時代の耽美派(唯美派)は、何があったかな

授業を受けている生徒「大正時代の耽美派(唯美派)は、3つあった。1つ目は、1910年、谷崎潤一郎が書いた「刺青」。2つ目は、1916年、永井荷風が書いた「腕くらべ」。3つ目は、1924年、谷崎潤一郎が書いた「痴人の愛」

授業をしている講師「そうだよね。例えば、あなたは、教師に大正時代の耽美派(唯美派)について質問をされたとします。あなたは、教師に大正時代の耽美派(唯美派)についてどのように説明しますかと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「大正時代の耽美派(唯美派)は、美を人生の最高の価値とし、美の享受と創造を目指した文学の流派。大正時代の耽美派(唯美派)の主な作家は、永井荷風・谷崎潤一郎。なので、正解は、大正時代の耽美派(唯美派)は、美を人生の最高の価値とし、美の享受と創造を目指した文学の流派です。大正時代の耽美派(唯美派)の主な作家は、永井荷風・谷崎潤一郎ですかな



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の新思潮派(理知主義)を押さえるについて話します。早速だけど、新思潮派(理知主義)とは、何か分かるかな

授業を受けている生徒「新思潮派とは、社会や人間の姿を一段離れたところから眺めて、理知的な解釈や技巧を加え、そこに近代人らしいエゴイズムの思想の悲哀を映し出そうとする主義立場かな

授業をしている講師「そうだよね。新思潮派の別名は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「新思潮派の別名は、理知主義

授業をしている講師「そうだよね。大正時代の新思潮派(理知主義)は、何があるかな

授業を受けている生徒「大正時代の新思潮派(理知主義)は、5つある。1つ目は、1915年、芥川龍之介が書いた「羅生門」。2つ目は、1916年、芥川龍之介が書いた「鼻」。3つ目は、1917年、菊池寛が書いた「父帰る」。4つ目は、1919年、菊池寛が書いた「恩讐の彼方に」。5つ目は、1927年、芥川龍之介が書いた「河童」かな

授業をしている講師「そうだよね。例えば、出典:「羅生門」と書かれ、「羅生門」の作者は、誰か答えなさい。また「羅生門」の作者は、何派か答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「「羅生門」は、1915年、芥川龍之介が書いた。芥川龍之介は、新思潮派(理知主義)。なので、正解は、芥川龍之介・新思潮派(理知主義)

授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の文学を押さえるについて話しました。次回は、大正時代の文学を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代の新思潮派(理知主義)について>
「羅生門」→1915年、芥川龍之介が書いた

「鼻」→1916年、芥川龍之介が書いた

「父帰る」→1917年、菊池寛が書いた

「恩讐の彼方に」→1919年、菊池寛が書いた

「河童」→1927年、芥川龍之介が書いた

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