こんにちは。

 「基礎国語ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「大正時代の文学を押さえる」について話して行きます。

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授業をしている講師「前回は、明治時代の啓蒙書などを押さえるについて話しました。明治時代の啓蒙書などは、何があったかな

授業を受けている生徒「明治時代の啓蒙書などは、5つあった。1つ目は、1871年、中村正直が翻訳した「西国立志編」。2つ目は、1872年、中村正直が翻訳した「自由之理」。3つ目は、1872年から1876年、福沢諭吉が書いた「学問のすゝめ」。4つ目は、1875年、福沢諭吉が書いた「文明論之概略」。5つ目は、1885年、福沢諭吉が書いた「脱亜論」



授業をしている講師「そうだよね。例えば、1871年、中村正直が翻訳した「西国立志編」。1872年、中村正直が翻訳した「自由之理」の作者をそれぞれ答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1871年、中村正直が翻訳した「西国立志編」の作者は、イギリスの著述家 S. スマイルズ。1872年、中村正直が翻訳した「自由之理」の作者は、イギリス功利主義の思想家J.S.ミル。なので、正解は、S. スマイルズ・J.S.ミル

授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の文学を押さえるを押さえるについて話します。早速だけど、市民文学とは、何か分かるかな

授業を受けている生徒「うーん。分からない」

授業をしている講師「そうだよね。市民文学とは、個性を尊重する文学のことだよ

授業を受けている生徒「はい」

授業をしている講師「大正時代も派が出て来る。今回だけで大正時代の文学を勉強した場合、国語の文学史だけではなく、日本史の文化史の勉強をすることも嫌になる。なので、今回は、大正時代の余裕派について話します。大正時代の余裕派は、何があるかな

授業を受けている生徒「大正時代の余裕派は、3つある。1つ目は、1913年、森鷗外が書いた「阿部一族」。2つ目は、1914年、夏目漱石が書いた「こゝろ」。3つ目は、1916年、夏目漱石が書いた「明暗」かな

授業をしている講師「そうだよね。例えば、出典:「こゝろ」と書かれ、「こゝろ」の作者の作品ではない作品の選択肢を答えなさい。A「明暗」 B「草枕」 C「阿部一族」と問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「「こゝろ」は、1914年、夏目漱石が書いた。A「明暗」は、1916年、夏目漱石が書いた。 B「草枕」は、1906年、夏目漱石が書いた。C「阿部一族」は、1913年、森鷗外が書いた。なので、正解は、C「阿部一族」



授業をしている講師「そうだよね。大正時代の始まりと終わりは、何年だったかな

授業を受けている生徒「大正時代の始まりと終わりは、1912年7月30日~1926年12月25日



授業をしている講師「そうだよね。大正時代で思い出す人物は、誰かな

授業を受けている生徒「大正時代で思い出す人物は、大正時代の内閣総理大臣



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の文学を押さえるについて話しました。次回は、大正時代の文学を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代の余裕派について>
「阿部一族」→1913年、森鷗外が書いた

「こゝろ」→1914年、夏目漱石が書いた

「明暗」→1916年、夏目漱石が書いた

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