こんにちは。

 「基礎国語ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「明治時代の文学を押さえる」について話して行きます。

基礎国語ブログ9

授業をしている講師「前回は、1910年、「一握の砂」以降の石川啄木を押さえるについて話しました。1910年、「一握の砂」以降の石川啄木の代表作は、何があったかな

授業を受けている生徒「1910年、「一握の砂」以降の石川啄木の代表作は、3つあった。1つ目は、1910年、「一握の砂」。2つ目は、1910年、「時代閉塞の現状」。3つ目は、1912年、「悲しき玩具」

授業をしている講師「そうだよね。例えば、出典:石川啄木「一握の砂」と書かれ、1910年、「一握の砂」以降の石川啄木の派を選択肢から選びなさい。Aホトトギス派 B生活派 C明星派 Dアララギ派と問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1910年、「一握の砂」以降の石川啄木は、現実的な生活の面を重視し、実生活の体験を重んじる生活派と呼ばれている作風で独自の作品を書いていた。なので、正解は、B生活派



授業をしている講師「正解。今回は、明治時代の啓蒙書などを押さえるについて話します。早速だけど、明治時代の啓蒙書などは、何があるかな

授業を受けている生徒「うーん。分からない」

授業をしている講師「明治時代の啓蒙書などは、5つある。1つ目は、1871年、中村正直が翻訳した「西国立志編」。2つ目は、1872年、中村正直が翻訳した「自由之理」。3つ目は、1872年から1876年、福沢諭吉が書いた「学問のすゝめ」。4つ目は、1875年、福沢諭吉が書いた「文明論之概略」。5つ目は、1885年、福沢諭吉が書いた「脱亜論」

授業を受けている生徒「なるほど」

授業をしている講師例えば、「脱亜論」は、1885年、森鴎外によって書かれたと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「「脱亜論」は、1885年、福沢諭吉が書いた。なので、正解は、



授業をしている講師「正解。今回は、明治時代の文学を押さえるについて話しました。次回は、大正時代の文学を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<明治時代の啓蒙書などについて>
「西国立志編」→1871年、中村正直が翻訳した

「自由之理」→1872年、中村正直が翻訳した

「学問のすゝめ」→1872年から1876年、福沢諭吉が書いた

「文明論之概略」→1875年、福沢諭吉が書いた

「脱亜論」→1885年、福沢諭吉が書いた

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