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基礎文学史

【基礎文学史講座:33講】大正時代の文学を押さえる

 こんにちは。

 「基礎国語ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「大正時代の文学を押さえる」について話して行きます。

基礎国語ブログ9

授業をしている講師「前回は、大正時代のプロレタリア文学運動を押さえるについて話しました。大正時代のプロレタリア文学運動は、何があったかな

授業を受けている生徒「プロレタリア文学運動は、4つあった。1つ目は、1921年から1923年、小牧近江・金子洋文・今野賢三らが中心となった「種蒔く人」。2つ目は、1928年5月から1931年12月、「戦旗」。3つ目は、1929年、小林多喜二が書いた「蟹工船」。4つ目は、1929年、徳永直が書いた「太陽のない街」

授業をしている講師「そうだよね。例えば、第一次世界大戦後の労働運動・社会主義の発展に伴って現れ、労働者・農民の立場から、労働者・農民の思想や生活を描き現実を発展させようとする文学運動のことをプロレタリア文学運動と言う。第一次世界大戦が休戦したのは、何年か答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「第一次世界大戦が休戦したのは、1918年11月。なので、正解は、1918年11月



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の自然主義を押さえるについて話します。早速だけど、自然主義とは、何だったかな

授業を受けている生徒「自然主義とは、フランス・ロシアの自然主義文学の影響によって、人間社会の暗い現実の姿をありのままに映し出そうとすること



授業をしている講師「そうだよね。大正時代の自然主義は、何があるか分かるかな

授業を受けている生徒「大正時代の自然主義は、1929年、島崎藤村が書いた「夜明け前」かな

授業をしている講師「そうだよね。例えば、大正時代には、自然主義の作品は、書かれなかったと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「1929年、島崎藤村が書いた「夜明け前」は、自然主義で書かれている。なので、正解は、

授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の文学を押さえるについて話しました。次回は、大正時代の文学を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代の自然主義について>
「夜明け前」→1929年、島崎藤村が書いた

基礎国語ブログ2

【基礎文学史講座:32講】大正時代の文学を押さえる

 こんにちは。

 「基礎国語ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「大正時代の文学を押さえる」について話して行きます。

基礎国語ブログ9

授業をしている講師「前回は、大正時代の新思潮派(理知主義)を押さえるについて話しました。大正時代の新思潮派(理知主義)は、何があったかな

授業を受けている生徒「大正時代の新思潮派(理知主義)は、大正時代の新思潮派(理知主義)は、5つあった。1つ目は、1915年、芥川龍之介が書いた「羅生門」。2つ目は、1916年、芥川龍之介が書いた「鼻」。3つ目は、1917年、菊池寛が書いた「父帰る」。4つ目は、1919年、菊池寛が書いた「恩讐の彼方に」。5つ目は、1927年、芥川龍之介が書いた「河童」

授業をしている講師「そうだよね。例えば、「私は、社会や人間の姿を一段離れたところから眺めて、理知的な解釈や技巧を加え、そこに近代人らしいエゴイズムの思想の悲哀を映し出そうとする主義立場で作品を書きました。私の主な作品は、1917年に書いた「父帰る」。1919年に書いた「恩讐の彼方に」があります」会話の人名を答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「社会や人間の姿を一段離れたところから眺めて、理知的な解釈や技巧を加え、そこに近代人らしいエゴイズムの思想の悲哀を映し出そうとする主義立場は、新思潮派(理知主義)。1917年、「父帰る」。1919年、「恩讐の彼方に」を書いたのは、菊池寛。なので、正解は、菊池寛



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代のプロレタリア文学運動を押さえるについて話します。早速だけど、プロレタリア文学運動とは、何か分かるかな

授業を受けている生徒「プロレタリアとは、賃金労働者。なので、プロレタリア文学運動とは、賃金労働者と関係がある文学運動かな」

授業をしている講師「プロレタリア文学運動とは、第一次世界大戦後の労働運動・社会主義の発展に伴って現れ、労働者・農民の立場から、労働者・農民の思想や生活を描き現実を発展させようとする文学運動のことだよ

授業を受けている生徒「はい」

授業をしている講師第一次世界大戦が休戦したのは、何年だったかな

授業を受けている生徒「第一次世界大戦が休戦したのは、1918年11月



授業をしている講師「そうだよね。プロレタリア文学運動と第一次世界大戦を関連させて押さえておいてね

授業を受けている生徒「はい」

授業をしている講師プロレタリア文学運動は、何があるかな

授業を受けている生徒「プロレタリア文学運動は、2つある。1つは、1929年、小林多喜二が書いた「蟹工船」。もう1つは、1929年、徳永直が書いた「太陽のない街」かな

授業をしている講師「残念ながら、プロレタリア文学運動は、「蟹工船」・「太陽のない街」だけではない。「蟹工船」・「太陽のない街」以外に2つの雑誌がある。1つは、1921年から1923年、小牧近江・金子洋文・今野賢三らが中心となった「種蒔く人」。もう1つは、1928年5月から1931年12月、「戦旗」がある

授業を受けている生徒「なるほど」

授業をしている講師例えば、出典:「蟹工船」と書かれ、「蟹工船」の作者を答えなさい。また「蟹工船」は、どのような活動を基に書かれた作品か簡単に説明しなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「「蟹工船」は、1929年、小林多喜二が書いた。「蟹工船」は、プロレタリア文学運動と関連する作品。プロレタリア文学運動とは、第一次世界大戦後の労働運動・社会主義の発展に伴って現れ、労働者・農民の立場から、労働者・農民の思想や生活を描き現実を発展させようとする文学運動。なので、正解は、小林多喜二・小林多喜二が書いた「蟹工船」は、第一次世界大戦後の労働運動・社会主義の発展に伴って現れ、労働者・農民の立場から、労働者・農民の思想や生活を描き現実を発展させようとするプロレタリア文学運動を基に書かれた作品ですかな

授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の文学を押さえるについて話しました。次回は、大正時代の文学を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代のプロレタリア文学運動について>
「種蒔く人」→1921年から1923年、小牧近江・金子洋文・今野賢三らが中心となった雑誌

「戦旗」→1928年5月から1931年12月に発行された雑誌

「蟹工船」→1929年、小林多喜二が書いた

「太陽のない街」→1929年、徳永直が書いた

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【基礎文学史講座:31講】大正時代の文学を押さえる

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授業をしている講師「前回は、大正時代の耽美派(唯美派)を押さえるについて話しました。大正時代の耽美派(唯美派)は、何があったかな

授業を受けている生徒「大正時代の耽美派(唯美派)は、3つあった。1つ目は、1910年、谷崎潤一郎が書いた「刺青」。2つ目は、1916年、永井荷風が書いた「腕くらべ」。3つ目は、1924年、谷崎潤一郎が書いた「痴人の愛」

授業をしている講師「そうだよね。例えば、あなたは、教師に大正時代の耽美派(唯美派)について質問をされたとします。あなたは、教師に大正時代の耽美派(唯美派)についてどのように説明しますかと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「大正時代の耽美派(唯美派)は、美を人生の最高の価値とし、美の享受と創造を目指した文学の流派。大正時代の耽美派(唯美派)の主な作家は、永井荷風・谷崎潤一郎。なので、正解は、大正時代の耽美派(唯美派)は、美を人生の最高の価値とし、美の享受と創造を目指した文学の流派です。大正時代の耽美派(唯美派)の主な作家は、永井荷風・谷崎潤一郎ですかな



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の新思潮派(理知主義)を押さえるについて話します。早速だけど、新思潮派(理知主義)とは、何か分かるかな

授業を受けている生徒「新思潮派とは、社会や人間の姿を一段離れたところから眺めて、理知的な解釈や技巧を加え、そこに近代人らしいエゴイズムの思想の悲哀を映し出そうとする主義立場かな

授業をしている講師「そうだよね。新思潮派の別名は、何か分かるかな

授業を受けている生徒「新思潮派の別名は、理知主義

授業をしている講師「そうだよね。大正時代の新思潮派(理知主義)は、何があるかな

授業を受けている生徒「大正時代の新思潮派(理知主義)は、5つある。1つ目は、1915年、芥川龍之介が書いた「羅生門」。2つ目は、1916年、芥川龍之介が書いた「鼻」。3つ目は、1917年、菊池寛が書いた「父帰る」。4つ目は、1919年、菊池寛が書いた「恩讐の彼方に」。5つ目は、1927年、芥川龍之介が書いた「河童」かな

授業をしている講師「そうだよね。例えば、出典:「羅生門」と書かれ、「羅生門」の作者は、誰か答えなさい。また「羅生門」の作者は、何派か答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「「羅生門」は、1915年、芥川龍之介が書いた。芥川龍之介は、新思潮派(理知主義)。なので、正解は、芥川龍之介・新思潮派(理知主義)

授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の文学を押さえるについて話しました。次回は、大正時代の文学を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代の新思潮派(理知主義)について>
「羅生門」→1915年、芥川龍之介が書いた

「鼻」→1916年、芥川龍之介が書いた

「父帰る」→1917年、菊池寛が書いた

「恩讐の彼方に」→1919年、菊池寛が書いた

「河童」→1927年、芥川龍之介が書いた

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【基礎文学史講座:30講】大正時代の文学を押さえる

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 今回は、「大正時代の文学を押さえる」について話して行きます。

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授業をしている講師「前回は、大正時代の白樺派を押さえるを押さえるについて話しました。大正時代の白樺派は、何があったかな

授業を受けている生徒「大正時代の白樺派は、6つあった。1つ目は、1915年、武者小路実篤が書いた「その妹」。2つ目は、1917年、有島武郎が書いた「カインの末裔」。3つ目は、1917年、志賀直哉が書いた「和解」。4つ目は、1919年、有島武郎が書いた「或る女」。5つ目は、1921年、志賀直哉が書いた「暗夜行路」。6つ目は、1922年、武者小路実篤が書いた「人間万歳」

授業をしている講師「そうだよね。例えば、出典:志賀直哉「暗夜行路」と書かれ、志賀直哉は、何派か答えなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「志賀直哉は、白樺派。なので、正解は、白樺派



授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の耽美派(唯美派)を押さえるについて話します。早速だけど、耽美派(唯美派)とは、何か分かるかな

授業を受けている生徒「耽美派とは、美を人生の最高の価値とし、美の享受と創造を目指した文学の流派かな

授業をしている講師「そうだよね。耽美派の別名は、分かるかな

授業を受けている生徒「耽美派の別名は、唯美派かな

授業をしている講師「そうだよね。大正時代の耽美派(唯美派)は、何があるかな

授業を受けている生徒「大正時代の耽美派(唯美派)は、2つある。1つは、1916年、永井荷風が書いた「腕くらべ」。もう1つは、1910年、谷崎潤一郎が書いた「刺青」かな

授業をしている講師「大正時代の耽美派(唯美派)は、「腕くらべ」・「刺青」以外に1つある。「腕くらべ」・「刺青」以外の1つは、1924年、谷崎潤一郎が書いた「痴人の愛」

授業を受けている生徒「なるほど」

授業をしている講師例えば、美を人生の最高の価値とし、美の享受と創造を目指した文学の流派を1⃣と言う。1⃣には、2⃣・3⃣がいた。2⃣の代表作は、1910年に書いた「刺青」・1924年に書いた「痴人の愛」がある。3⃣の代表作は、1916年に書いた「腕くらべ」がある。1⃣から3⃣を埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「美を人生の最高の価値とし、美の享受と創造を目指した文学の流派は、耽美派(唯美派)。なので、1⃣は、耽美派(唯美派)。1910年に「刺青」・1924年に「痴人の愛」を書いたのは、谷崎潤一郎。1916年に「腕くらべ」を書いたのは、永井荷風。なので、2⃣は、谷崎潤一郎。3⃣は、永井荷風。正解は、1⃣は、耽美派(唯美派)・2⃣は、谷崎潤一郎・3⃣は、永井荷風

授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の文学を押さえるについて話しました。次回は、大正時代の文学を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代の耽美派(唯美派)について>
「刺青」→1910年、谷崎潤一郎が書いた

「腕くらべ」→1916年、永井荷風が書いた

「痴人の愛」→1924年、谷崎潤一郎が書いた

基礎国語ブログ2

【基礎文学史講座:29講】大正時代の文学を押さえる

 こんにちは。

 「基礎国語ブログ」運営者、しんです。

 私は、大学時代3年間一斉授業・個別指導授業を担当し、担当した生徒の成績を最大30点あげた実績があります。

 私は大学3年の時、1か月間ベルリン(ドイツ)にあるゲーテインスティテュートにドイツ語の語学研修に行った経験もあります。

 今回は、「大正時代の文学を押さえる」について話して行きます。

基礎国語ブログ9

授業をしている講師「前回は、大正時代の余裕派を押さえるについて話しました。大正時代の余裕派は、何があったかな

授業を受けている生徒「大正時代の余裕派は、3つあった。1つ目は、1913年、森鷗外が書いた「阿部一族」。2つ目は、1914年、夏目漱石が書いた「こゝろ」。3つ目は、1916年、夏目漱石が書いた「明暗」

授業をしている講師「そうだよね。例えば、1⃣は、初期は、ロマン派の文学を書き、晩年は、余裕派の文学を書いた。1⃣の初期の作品は、1890年に書いた「2⃣」がある。1⃣は、1909年に書いた「3⃣」以降、余裕派の文学を書いた。1⃣の大正時代に書いた作品は、1913年に書いた「4⃣」が知られている。1⃣から4⃣を埋めなさいと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「初期は、ロマン派の文学を書き、晩年は、余裕派の文学を書いたのは、森鷗外。なので、1⃣は、森鷗外。森鷗外が1890年に書いた作品は、「舞姫」。なので、2⃣は、舞姫。森鴎外が1909年に書き、余裕派の文学を書き始めた分岐点となった作品は、「ヰタ・セクスアリス」。なので、3⃣は、ヰタ・セクスアリス。森鷗外の大正時代の1913年に書いた作品は、「阿部一族」。なので、4⃣は、阿部一族。正解は、1⃣は、森鷗外・2⃣は、舞姫・3⃣は、ヰタ・セクスアリス・4⃣は、阿部一族







授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の白樺派を押さえるを押さえるについて話します。早速だけど、白樺派とは、何か分かるかな

授業を受けている生徒「白樺派とは、人道主義・理想主義・個性尊重などを唱えて自然主義に抗し、大正期の文壇の中心的な存在になった文学者・美術家の集団のことかな

授業をしている講師「そうだよね。大正時代の白樺派は、何があるかな

授業を受けている生徒「大正時代の白樺派は、4つある。1つ目は、1917年、志賀直哉が書いた「和解」。2つ目は、1919年、有島武郎が書いた「或る女」。3つ目は、1921年、志賀直哉が書いた「暗夜行路」。4つ目は、1922年、武者小路実篤が書いた「人間万歳」かな

授業をしている講師「残念ながら、大正時代の白樺派は、「和解」・「或る女」・「暗夜行路」・「人間万歳」だけではない。「和解」・「或る女」・「暗夜行路」・「人間万歳」以外に2つある。1つ目は、1915年、武者小路実篤が書いた「その妹」。もう1つは、1917年、有島武郎が書いた「カインの末裔」

授業を受けている生徒「なるほど」

授業をしている講師例えば、志賀直哉は、夏目漱石・森鷗外と同様に余裕派の作品を書いたと問題が出題されたとする。正解は、どうかな

授業を受けている生徒「志賀直哉は、白樺派の作品を書いた。なので、正解は、

授業をしている講師「正解。今回は、大正時代の文学を押さえるについて話しました。次回は、大正時代の文学を押さえるについて話します。お疲れ様でした」

授業を受けている生徒「はい。お疲れ様でした」

●まとめ
<大正時代の白樺派について>
「その妹」→1915年、武者小路実篤が書いた

「カインの末裔」→1917年、有島武郎が書いた

「和解」→1917年、志賀直哉が書いた

「或る女」→1919年、有島武郎が書いた

「暗夜行路」→1921年、志賀直哉が書いた

「人間万歳」→1922年、武者小路実篤が書いた

基礎国語ブログ2